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コンピテンシーとはそもそもどのようなものとして登場したのか? ―David C. McClellandのオリジナル論文を中心にして―

【 はじめに 】

コンピテンシー・ブームというものが少なくとも日本ではあったとみてよいでしょう。というのも、ある時期、ハイパフォーマー(ハイポテンシャル)という言葉が流行り、その特性を調べたら、他の平均的な実在者の業績/パフォーマンスも自然と上がっていくのだという、まことしやかな「仮説」が流布していました。

その場合の、「高業績者の特性」を、日本ではコンピテンシーと呼んでいました。

そもそも米国でコンピテンシーはどうなっているのでしょうか?

コンピテンシー・ブームは米国にはなかったという説もありますが、ある時期はcompetencyを冠する本や論文が出回ったという意見もあります(MIT注、米国ではcompetenciesがよく使われます。)

いずれにしても、今の日本ではコンピテンシーという言葉が一般化してしまっているか、あまり魅力ある経営用語にはなっていないようです。

 

本コラムでは、このコンピテンシーの源流に迫ってみましょう。

 

◆マクレランド教授のコンピテンシー論が最初

日本では達成動機、リーダーシップの研究で知られている、デイヴィッド・マクレランドですが、その活躍の領域は非常に広いものでした。

マクレランドは大学で教育・研究をするだけではなく、Berlu(バール―)の協力を得て、McBer(マクバー)というシンクタンクを創設・運営し、コンサルティングにも従事していました。マクバーはある時期、ヘイグループ(Hay Group)と一緒になっていて、ヘイがHay/McBerと名乗っていた時期もあります。

ヘイマクバーの識者として知られているのが、ダニエル・ゴールマンやリチャード・ボヤティズで、コンピテンシーやEQの研究が日本でも紹介されています。

マクレランドの論文は1973年に上梓された、次の論文です。Testing for Competence Rather Than for “Intelligence”というタイトルで、American Psychologistに掲載されました。日本語に訳せば、いわゆる知性よりもコンピテンシーが大事、それをどう測定するのか?、という内容になります。

 

◆マクレランドの論文

マクレランドの論文は至る所で引用、紹介されていますが、原文を読んだ人はどれだけいるのでしょうか?

というのも、この論文には、外交官の適性についての議論が主に展開されていると紹介されていることが多いのですが、果たして本当なのでしょうか? 確認してみる必要がありそうです。

マクレランドの研究自体は、スペンサー(1993)のコンピテンシー解説書(Competence at work)や、ルシアとレプシンガー(2000)の解説書(The art and science of competency modeling)にも紹介されています。

ルシアらのまえがきによると、マクレランドは、活躍する「外務情報員」について調べたところ、入職時に行われている歴史や語学の試験の結果があまり業績に相関しておらず、むしろ低い業績の人物に優秀な人が多いほどで、もっと別の要因のところに成功要因がありそうだと述べています。外交官ではなく、外務情報員だということです。

それでは、マクレランドの論文を概観していきましょう。

 

◆米国におけるテスト事情

米国におけるテストの動向は、基準のサイズ、影響力、適合性という意味で評価するなら成功してきたと言えます。知性・適性テストは、学校、大学、従業員などありとあらゆるところで実施されています。

教育テストサービス(The Educational Testing Service)という機関だけでも2000人の人を雇っており、進学適性試験を毎年、実施しています。そのテスト(入試システム)は、若者を優秀(qualified)かどうか決め、レッテルを張る(stamping)のに強烈な影響力を持っています。

つい最近まで入試の仕組みは、黒人やスパニッシュ系などのマイノリティを選抜する仕組みとして非常に効率的なものでした。それ以前、入試担当者は、テストの出来具合をさておいて、その出来具合(qualities)を取り上げてきていました。なぜ学力・適性テスト(/知能テスト)が全能なのか?

どうして学力・適性テストがこんなに有力なものとして取り扱うべきなのでしょうか?何度も出てきますが、テストとは知能テストと考えてください。

大学入試や採用で応募者を選考する際、そうしたテストを活用すれば、何が公平となるのでしょうか?

このような動向・取り組みが成功してきていることには、どのような前提条件があるのでしょうか?

テストはたくさんのアメリカ人の人生に影響を与える制度として活用され、暗黙のうちに発達してきたのです。それは注意深い実験に値します。

鍵となる論点は、いわゆる学力/知能のテスト(intelligence test)の妥当性です。妥当でないなら、テストが公平であるということにはなりません。

マクレランドが確信するところでは、考えもせず(rather unthinkingly)、皆が知能テストを妥当性で、根拠あるものと信じているということです。

 

◆マクレランドの問題意識

マクレランドの問題意識は、実際のところ、学力・知能についてのテストに妥当性があるのかについて懐疑的にレビュー(review skeptically)することにあります。

手始めに脳にダメージを受けた人が学力テストで実力を発揮できないことを確認してみましょう。

ウェヒナー(1958)は、主に、脳にダメージを受けた人が学力テストには耐えないことが明確な欠点になるということを実証するためにテストを実施した。知性の欠如がテストの結果からも明らかだったことがわかっています。

マルチメソッドやマルチレートなどの基準はここでは全く活用されていなかったです。

 

◆テストは学校での成績を予測する

ゲーム的な人々(game people)は教師が教室で要求するゲームと似たテストを要求されます。(MIT注:この場合の、gameとは、侮蔑的な意味合いを込めて、競争という意味になります。)

実際、ビネットが作った知能テストはフランスの学校で盛んに活用されました。知能テストは、学校での好成績に強く相関していました。フランスで知能テストが採用されたのは知恵遅れの児童に適切な教育を行なうためでした。そのため、全体的な学力テスト実施という動向はこのような単純な否定できない事実として継続していきました。

マクネマー(1964)は、そのことが妥当性を示唆する証拠になると考えました。4000人以上のサンプルから心理学的に作られた適性テストの手引書が有効であることを示しました。しかし、マクレランドは合点がいかない(did not enlighten me)と述べています。

では、そもそも成績(grades)とは何か?成績がいかに妥当で、何を予測するのか?調査していくと、学校の成績が他の、何か重要な行動(behavior)に関連しているのか、というと、そうでもないということが明らかになります。

 

◆学校秀才が社会で成功するのか?

1950年代の社会科学会議の調査によると、学校における好成績は人生における成功や仕事上の業績と相関しているということが示されていますが、マクレランドは、その一員だった立場から、その相関はかすかなもの(slightly)に過ぎなかったと指摘しています。

ウェスリアン大学で1940年代、マクレランドは教員をしていました。その当時、クラスのトップ8人はオールAでした。一方、クラスにはCばかりの学生もいました。

驚いたことに、1960年代になってから、彼らの、その後を見てみると、大した差がないことがわかりました。どちらの成績群にも医師や弁護士、学校教師、研究者などがいて、差がありませんでした。しかし、今の、つまり1970年代の入試システムなら、(オールCの成績で)法学部(ロースクール)や医学部(メディカルスクール)に入るなんてあり得ないことでしょう。その結果は、英国でも米国でも記録されてきており、ベルグ(1970)は、「教育と仕事-偉大なる訓練」というタイトルの本があります。

 

◆受験競争に打ち勝つ者が成功するのか?

タイラー・スミス・ギセリン(1963)の研究によれば、仕事上の業績は大学の好成績に何ら相関しないことが示されています。受験競争(games)にうまく対処する者がベストの教育を維持できるのかなぜなのか? それは、大学が学力適性テストを実施しているからです。これは言い換えれば、テニスのうまい人を選んでコーチしているようなものです。

教育の目的とは、うまくできない人をうまくいくようにすることであって、すでにできている人に教育するということではないはずとマクレランドは指摘しています。言い換えると、それは、優秀な学生をより教育し、そうでない学生にはその機会を与えないということになります。教師は課程(コース)でうまくやってくれる学生を求めますが、社会は教師が教育するに値するかどうかを決めることを許すわけではありません。まして、教師から見た業績が人生における業績/パフォーマンスにあまり関係ないということになれば、なおのことです。

 

◆知能テストは職務上の成功に関係する能力を刺激するのか?

ほとんどの心理学者はそう考えています。そのことはクロンバック(1970)にも指摘されています。しかし、そのことを裏付ける根拠はほとんどないと言っても過言ではないです。たとえば、ソーンダイクとヘーゲン(1959)は、12000のサンプルについて検討したところ、10000については相関がないということを示しています。つまり、テストは妥当ではないということです。歯科医になるには手先の器用さが大事です。入試では、そうした点に着目して最小限の適性テストを実施するということでよいはずなのです。ホランドとリチャード(1965)やエルトンとシュベル(1969)は、大学における学力テストと、芸術、科学、音楽、著述、スピーチ、演劇などにおける実際の業績(accomplishments)は何ら関係がないことを示しています。ホランドは職業と関心が関係していると示したことで有名です(MIT注)。

 

◆適正テストは実際の成功を予測するのか?

ジッセリ(1966)が50年間の調査したところ、一般知能テストは訓練可能性(trainability)と.42の相関があり(中程度、MIT注)、様々な仕事の能力(proficiency)と.23の相関(やや低い相関、MIT注)があると報告しています。しかし、この調査は10000の事例からのものであり、サンプルは小さすぎるものとして信用できないものです。

しかも、ジッセリがいうところの、職業上の成功というものの根拠や、能力をどう測ったのかという背景が明らかにされていません。

もし成功というのであれば、人事考課の評定や、給与がどうなったのかということは1つの目安になり得るでしょう。

興味深いことに、社会的に低い仕事よりもむしろ高い仕事で知能と能力が相関関係にあることということがあります。勧誘員や司法書士の場合、その能力と知能の相関はマイナス.08になっています。(絶対値に近いので、無相関と言える。MIT注)

一方、金融商品のセールスマンでは、.45という中程度の相関があります。

いずれにせよ、知能テストと職業上の成功の相関は虚構に過ぎないのです。

 

◆メンタルな能力はどう関係するのか?

ヤンセン(1972)の研究では、メンタルな能力が、平均的なIQのスコアと職務的な威信(prestige)とに関係があると考えられました。しかし、その関係は、語彙とその他の習慣・癖とが高い威信の地位に関係していると解釈されています(この場合の「メンタル」とは何を意味するのか、情緒安定性のことと考えられる、MIT注)。

ジッセリの研究は、単に仕事上の能力が知能テストに関係していると示しているわけではありません。たとえば、警察官の場合、その相関は.27に過ぎないのです(中程度の相関、MIT注)。

ヤンセンによると、メンタルな健全性は高いIQの子供によりみられると指摘されています。つまり、IQの高い子供はメンタルな安定性が概して高いという傾向がみられるということです。

 

◆人生の成果を統制する力の役割

最近まで、心理学者は、テストの妥当性を確認することに反する基準に関心を払うことに神経質になっていました。

たとえば、ターマンは、「才能(giftedness)」が人生における成功要因として測られていると感じていました。

ヤンセンは、1972年、次のように指摘しています。

IQは重要な何かを語っているのだろうか? IQはメンタルな能力に関連していることが定説で、その結果、教育上、また職業上のパフォーマンスに関係しているのではないか。

IQはその後の10年程度の学力テストを予測している。

平均的なIQの場合、平均的な収入に位置する職業と関連性があり、また、世間一般でプレステージの高い仕事とも関係性がある。(つまり、平均的なIQのほうが良いということになる。MIT注)

ただ、結論付けるのにはサンプル数が十分とは言えないとマクレランドは指摘しています。(ちなみに、ゴールマンは、平均的なIQのほうがEQが高く、社会的に成功していると指摘しています。MIT注)

 

◆いわゆるパワーエリートは学力だけではない

パワーエリート、つまり社会階層的に上位の人たちは、大学に行くというだけではなく、彼らの家系(family)に支えられています。

最近では、経歴にラテン語が要求されてきています。ラテン語を知らないと、法律も医学も、神学も学ぶことはできないです。ラテン語ができるということは上流階級であることの証にもなりますが、職業を決定する要因にもなります。

クロンバック(1970)は、テストが、ハンディキャップが何かを示してくれると結論付けていますが、もちろん、その指摘は正しいとマクレランドは言います。ただし、心理学者は何がハンディキャップになっているかを認識すべきだと主張しています。

学校で成功することを予測する妥当性とはそもそも何なのか? マクレランドは問いかけます。

学校での成功はいろいろなタイプのテストでの好成績に依存しています。しかし、実際のコンピテンシー(real competence)こそが人生における成果に関係しているのです。

 

◆では、コンピテンシーをどう測るのか?

コンピテンシーを測るということでは今のところ、何の研究もないとマクレランドは指摘します。

もしそういうものがあるとすれば、テストのスコアと職務関連のスキルが密接に関連していないといけないことになります。

例えて言えば、モーターの性能は自動車の能力を決定することになります。そのようなものがコンピテンシーということになります。

ここで、つまり、コンピテンシーを考える際、無難ではあるにしても、保守的でない基盤に基づいて、テストのサンプル基準を想定しています。

しかし、このコンピテンシーは、ヒトが何かをやろうとした際、どんなことについても有能である(competent)ことを示すものです。それは、一般的な能力要因とかなり混濁されています。(コンピテンシーは新しい概念であり、独自の測定法が開発されなくてはいけないです。MIT注)

 

◆ここから我々はどこへ行くのか?

テスト(知能テストを指す)の動向に対する批判は特段、新しいことではありません。

社会科学調査委員会は、人財(talent)の初期認定について15年前から同じような論点が指摘されてきました(マクレランド他、1958)。

テストの動向/運動は頑ななものなので、そのため、より理論的、経験的な障害があり、今ではインパクト/影響力が小さくなってしまっています。

大学入試委員会は、実務レベルで推進しているだけなのですが、考えや発生に関して重要なサインを出しています。それは、大学入試では人財のアセスメントをすべきで、そのプロフィールは大学に提出されるべきだというものです。

マクレランドは、こうした動きを正しい方向性だとしています。

そして、「学校における成績」だけではなく、「人生における成績(grades)」を理論的かつ実務的に幅広い意味で、その妥当性を確立すべきなのです。

 

◆コンピテンシーをどう測るのか?

では、コンピテンシー(competence)を伝統的な知能テストと対比するアプローチだとするにしても、コンピテンシーをどうテストするのかという問題に行き着くとマクレランドは言います。

ベストなテストは基準サンプリング(criterion sampling)であること:運転できるかどうかは実際に運転させてみるのがいいわけで、ペーパーテストは無意味である。このような考え方でいけば、職務上の能力は予測できる。

テストは個人が学んできたことで変化したことを自省するようにデザインされるべきであること:これは、人間の特性を把握しないと、難しいことである。

性格(characteristic)がどのように発達するのかを公表し、明白にすること:基準となる行動で見ていけば、成績を偽造することは不可能である。

テストは人生における成果を含む、コンピテンシーを評価すべきであること:知能テストをやめてしまい、職務分析に基づく基準サンプリングをやるとすれば、テストが極端に特定化される危険性がある。

 

◆コンピテンシーのテストはどうあるべきか(続き)

テストは反応的(respondent)であると同時に条件反応的(operant)でないといけない。(「オペラント条件付け」とは犬に餌をやり続けると、餌を見ただけでしだいに唾液を出すという実験で有名な条件付けのことです。MIT注)

コンピテンシーに関するテストは、様々な行動成果を一般化させる特性を最大化するオペラント(条件反応的)な思考パターンを測るものであるべきである。つまり、将来のテストは、生涯にわたる成果をコンピテンシーとして特徴づけし、一般化するものでないといけない、とされました。

 

◆コンピテンシーとして考えられるもの

  1. コミュニケーションスキル:重要なのはノンバーバルなコミュニケーションである。この例としてエチオピアでアメリカ人のボランティアが現地の高校でいかに学んだかが取り上げられている。
  2. 耐性、反応の遅さ:たとえば、警察官の場合などのケースを考えてみればよい。(繊細さや鋭さではなく、ストレス耐性や我慢強さを重視している。MIT注)
  3. 適切な目標設定能力:適切で到達可能な、そして現実的な目標を設定しないといけない。この能力は自発的に発揮されないといけない。
  4. 自我の発達/成熟した自我:加齢とともに発達するが、コスタがTAT(絵画投映法)を開発している(これは複数の絵を見せて物語を語らせてパーソナリティを診断するものである。MIT注)

 

【 まとめ 】

生まれつき知性があるとみなされると、テストの役割はそういうものを測ることだということになってしまい、学校ではそれが活用されるようになってしまいます。しかし、数学ができるとしても、それなら、もう学校で伸びる余地などない、むしろ低い部分を伸ばしてやることが必要なことだ、とマクレランドは指摘しています。

到達度合に関するプロフィールは、入学時だけではなく、教師や経営者、学生本人にもフィードバックされるべきです。テストの結果は、学生を助け、教師の教え方を再構築するための道具になるべきなのです。

マクレランドは生涯にわたって成功するかどうかをアセスメントし、それをプロフィールとして描く試験・テストを開発すべきだとまとめています。

 

MIT注:マクレランドの論文には外交官の事例は出てきませんでした。コンピテンシーの例は4つ確認できました。また、どのようにテストすべきかについては6点の指摘がありました。

 

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